×
お問い合わせ アクセスマップ 電話する

お知らせ

お経の意味と価値観

セレモニー想縁が創業した年の年末頃に、曹洞宗のお寺でされている「座禅会」へ参加するようになりました。

毎週日曜日の朝6時に、お寺へ行って座禅を20分 朝のお勤めとしてお経を30分 それから、作務と言って掃除を30分ほど行いました。  座禅は、最初は興味本位で形だけを真似していたのですが、少しづつ「なんだか深層意識のような、掴みどころのない不思議な気持ちを感じる」ようになってきました。  それと朝のお経(曹洞宗なので、修証義でした)を、開経偈から、般若心経・修証義と順番に読むのですが、週に一回とは言え続けることで、般若心経は本が無くても読めるようになってきました(現在は、元の木阿弥です)  そして、作務(掃除)は、庭を中心にトイレなどの清掃なのですが、綺麗になるとスッキリするのは今でも同じです。

一年ほど通っている中で、お経についての質問をしました。 『お経の意味は何ですか?』 和尚は「仏様の言葉であり、人として守るべきこと・慎むべきこと・行うべきことなどが書かれています」 『では、葬儀で故人に対して読む意味は何ですか?』と聞きました。 「故人様に仏様の言葉を伝えて、迷いなく成仏をしていただくために読ませていただきます」とのお答え。

半分は納得しましたが、もう半分は「死者が浄土へ行くための物じゃないんだ」と残念な気持ちもありました。

私もそうですが、死は怖いです。 その死に対して「お経を唱えれば大丈夫」みたいな話を聞けると思っていた気持ちがあったので、死者の為のものではなかったことは、お寺=お葬式のイメージとは違っていました。

それでも、何百年と続いてきた日本の仏教と檀家制度・お葬式でのお経は、それをしていただくことで、心の平安を得られるのなら良い方法と言えるのだと思います。

何に価値を感じるのか? 他の人の価値観ではなく・ご自身の価値観で決めていけば良いと思います。