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手を合わせるだけでも供養

10年ほど前の話になりますが、三重県のお寺様の法話の中で『いつ・どこにいても、手を合わせるだけでも供養となるのではないか」と言う話がありました。

仏教や神道が供養や弔いなどの形式を決める前から、人は亡くなっていましたし、その家族や仲の良い人にとっては悲しみ・それを供養していました。

その供養の一つが”手を合わせて故人に頭を下げる”になるのではないでしょうか。 遺体は腐敗をして感染病などの元になるので土に埋めたり・火で燃やしたり・人がいない場所に捨てたりなどの方法を取るしかなかったのでしょうが、遺髪や持ち物などを身に着けていたり、そのものを見ては思い出したりや、物などがない場合でも心の中で「故人様への想い」を募らせていたのではないかと考察します。