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私の父の葬儀

今から20年前の一月に父が亡くなり、喪主となって葬儀を出すことになったのです。 30歳になっていましたが、離婚したこともあって近くのアパートで独り暮らしでした。 実家の地域の付き合いは全て父・母がしていたので、葬儀の時に何をする・ご近所がどこまで手伝っていただける?は、さっぱり知らない状態だったのです。

父を自宅に安置して、ご近所の方が来てくれたところからずっと、分からないことを時間が迫るままに、次々と決定していって、常に挨拶・確認をしながら、悲しんでいる暇は無いと感じる時間でした。 友引があったので、一日延びる日程での通夜・葬儀だったのですが、母はショックがあるようで当てにしてはいけない状態でしたし、自分も葬儀業界には10年近くいるけれど「自分が喪主となる」ことは初めてでしたので、見ることと実際にすることは随分違うと感じました。

寒い一月なのに、通夜の準備段階から、戸を外してタンスなどを片付けて祭壇を組んでもらい、自宅にあるストーブだけでは足りないので葬儀社に大型のストーブをいくつか借りたり(有料です)、受付の返礼品もチェックして数・品が合っているのか見たり 落ち着くことが出来ない(誰かが必ずきていて、何かしら準備などをしている)まま、通夜を迎え ある程度の時間が過ぎたら表の戸は入れてもらいましたが、暑い場所と寒い場所が極端だったと思いました。

葬儀の日は一時開式・二時出棺で、昼まではゆっくりできると思っていたら、通夜の時にお供えを頼まれた物があったり、弔電が来たり、ご近所の方の炊き出しがあって、10時半くらいには炊き出しをいただいて、白の裃(かみしも)に着替えて12時くらいから、いつでも葬儀が始まっても良いように準備していました。 葬儀自体は親戚にお寺様もいまして、本願寺なのにやたらお寺が多い葬儀だなと思ったものでした。(導師・檀家の寺、地元の寺、親戚から二人で合計9人でした)

火葬場について火葬が始まってから、略式礼服に着替えて(白の裃は、葬儀社の人が回収しました)、まわりが親戚(30人弱)だけになり、すこし落ち着きましたが、どれでも気を遣うことはあったと思います。

戻って初七日とご近所の方へのお礼の食事を振る舞って、母と二人になってからやっとゆっくりできる「ほっとした」気分になりました。 悲しい・寂しいよりも自分が楽になったコトが嬉しかったです。