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お知らせ

20年前の葬儀の記録を見てみると

私の父が亡くなって、30年ほどになるのですが実家の整理をしている時に、平成15年の葬儀の記録が出てきました。

当時の葬儀の契約書類や、焼香順位帳や香典帳、お供えの品を書いた控えの帳面、買い物帳(ご近所にお金を渡しておいて、後にお釣りを返金していただくやり方でした)などや、実際の「お供えの熨斗・中身と個数」や「香典袋」に「御仏前」(49日法要までの分が入ってました)などなど、後に親戚や会葬いただいた方へ、同じようにお返しをするためにと取ってありました。

当時の葬儀は「自宅」+「隣組と両隣」+「一般の会葬者や仕事関係の会葬者が当たり前」+「お寺様自体が数が多い方が良いと思っていた気がする」ので、お通夜は親戚のお寺様が一人でお経でしたが、葬儀当日は8人ものお寺様が来ていただきました(多すぎると思ってました)  当時は、旦那寺(親寺に当たる寺も呼ぶ)で2人+村の付き合いがある寺(3寺・庵主様も居ました)+親戚がお寺を呼ぶ(父の兄弟が1人づつ)で2人 それと親戚のお寺さまでした。

葬儀代金よりは少ないけれど、お布施は合計45万円でした。。 葬儀代金と法事(49日まで)と香典返しを合わせると、いただいた香典では4分の1程度を賄えたようでした。

当時はそれが当然であり、葬儀式場へ行くことは『家から出してやれ』の圧力やご近所がお手伝いしていただける。。事もあって、こんな葬儀になりました。

葬儀自体は「仕方ない」と思っていますが、遺族である自分や母に負担が大きいことや、親戚の無責任発言で葬儀自体が想像よりも派手+高額になった事は失敗であり、自分がキチンと言うべきだったと思っています。

葬儀に正解は無いと思いますが、遺族の立場に立った葬儀はありますし、お金を掛ける事が供養では無いと思っています。